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2024/04
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今日も今日に間に合いました!ただいま!
お腹がすいたのでこんなじかん(23:22)ですがせぶんいれぶんの具沢山な野菜スープシリーズ?を食べます。これうまいよね、全種類制覇しそうな勢いなので自炊しないとなと思いますがそんな時間…というか気力がない。

しかしながらせめてもといふ思いで、朝飯だけは簡単なものではあるが、きっちりとつくって食べている。飯がうまければ毎日に多少の難はあれど些細なことではない。小生今日も三食、否、正直を申すならば四食と少々の菓子も食った。そして目下夜食を食している最中だというのだから天晴れなものである。天高く馬肥ゆる、というかの些か有名すぎる一文の表す如く、世のお嬢様方もまた天高く肥ゆる季節である。(しかしながら本来、この諺は現在認識されているやうな肥え太るばかりの仕合せな秋のことをのみ表しているのではないのではあるが。)もちろん世の男性諸君についても、それは同じである。いっそのこと天高く生きとし生けるものすべて肥ゆる秋、としてしまってもよかろう。なぜこの季節になると、胃のあたりを寂しい風が吹き抜けるようにひもじさを感じやすくなるのであろう。しかして、腹が減ったとひもじく思うのは決して不仕合せではないのだ。腹が減るのは元気な証拠とは良く言ったもので、小生も常日頃から思うに飯が喉を通れば健康であるからして、つまりは今日も元気である。今日食った飯が美味ければ美味いほど、その一日は、なんだかんだとであった不始末や心配事を挙げ連ねてみたところで、やはりよく使い古されたまったうな善き日なのではないだろうか。今日食う飯があることは仕合せだ。そうして日に五食も食らう小生、もちろん幸福の極みと言っては大袈裟であるが、仕合せであることには間違いはあるまい。多少の疲れや心の膿みや、明日に残した仕事には目を瞑るべきだ。美味い飯を食い、風呂に入り、あたたかい布団で眠る。噫、明日の朝飯は何にしやうかしら。そう考えるだけで生きる希望も湧こうというもの。小生近頃食うことにばかり喜びを見出しがちなのではないかと些か心配されている気があるがその点については心配無用。疲れてはいるが小生、日々の仕事にも喜びくらいは見出せているのである。むしろそれがなければ飯など美味くもなんともなかろうというものだ。
蛋白石(オパール)に良く似た半月の雲に隠れて朧な様を、夜食片手に眺めながらちびりちびりとやっていると、ふむ、なるほどなかなかに風雅なものである。食事とはただ、生きるための活力を得るためだけに行われる生存本能に基づいた活動というだけではないのであって、そこがなかなか世間一般に理解されていないのではないかしらん。少なくとも食には情緒というものがある。噫、それにしても、ぼんやりと虹色の光輪を雲に浮かべる月を見れば、なんとも心穏やかな心地に成らざるをえまい。ふとその乳色が、魚の目玉に見えた。
「明日は秋刀魚が食いたいものだ。」
「あら、では早速明日買ってきましょうねえ。」
聞いているとは思はなかった。サエさんがのんびりと居間の方から相槌を打った。サエさんとは、恥ずかしながら我が細君である。



っていうような食にうるさい古風な我輩とすてきな細君サエさんの出てくる小説が読みたい。おかしいな、途中まで普通に書いてたはずだったんだぜ?
誰か書いてください(・ω・)←



(23:49)
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